高校生にむけて

 今回はたくさんの写真を拝見し、また直接お話しすることで、新しい刺激を受けました。このような機会を与えてくださった皆様に感謝いたします。

 僕も高校生のときから写真を始め、大学で専門的なことを学んだ後、写真を仕事にして生きてきました。
 最初は新聞社のカメラマン、独立後は雑誌や広告の撮影、最近は主に作家としての活動をしています。その中でいつも考えているのは「良い写真ってなんだ?」ということです。
 新聞社のときに、良い写真というのは人間の目には捉えられない一瞬を撮影することでした。歴史的な瞬間をいかに写すか。数々の事件や現場に出向きました。写真は「そこに居合わせないと撮れない」ものだと教え込まれました。
 新聞社を辞め、広告や雑誌の仕事をするようになると、今度はイメージを作り上げるという作業が大事になり、商品や人物が「いかにもそこにあるような、触ることができるような写真」が好まれました。
 自分の写真を作品として発表するようになると、いままでのアプローチではまったく通用しないということがわかってきました。そこで必要とされたのはオリジナリティです。常に「いままでにないものを」が求められます。つまり「いままで、これがいいと思っていたけど、そうじゃない写真」ということです。
 良い写真というのは時代や場所で変化します。必ずしも、ある場所で評価されたものが、別のところでの評価にはつながりません。絶対的な良さというものは存在しません。ただ歴史的に残るものはあります。それはその時代を語るときに必要な写真です。“引用される”という言葉遣いをします。

 さて今回のコンテストに話を戻します。審査というのは善し悪しを分けるものですが、スポーツの大会と違って明確な基準がありません。体操やフィギュアスケートのように、審査で結果が決まるものではありますが、こうした競技は難度など厳密に定義され得点化されます。ところが写真の審査においては審査員の好みで随分と変わってくるものです。
 今回の審査では、各学校の写真部顧問の先生20名ほどと僕とでポイントをつけていくものでした。選ばれた写真は「審査員の良い写真の定義」に合ったものということです。僕は講演でその「良い写真の定義を疑ってみませんか」ということをお話ししました。

 内容を要約すると、“写真は見てから善し悪し、好き嫌いを決めているのではなく、あらかじめ頭の中にあるものを目の前の写真にあてはめて見ている。写真に限らずほとんどの定義は時間と場所によって大きく異なる。だから常に「良い写真」を疑ってみる。定義は更新し続ける必要があるよと”いうことです。
  皆さんの写真を見ていて女子はマクロ撮影が、男子は望遠レンズを使う人が多いということに気がつきました。どちらも色と形をうまく切り取っているものが入賞していたように思えます。

 世界を別の視点から捉えられるマクロや望遠での撮影は、僕も写真を始めたときには、とても魅力的に思えました。会場で声をかけてくれた、皆さんの写真もそうでした。これは良い写真の定義がすでに固まりかけていることを意味します。そこで最後に、僕が皆さんに伝えたいことを以下にまとめました。

〇寄ってうまくまとめた写真なんて、数十年経って見たらつまらないよ。
〇余計なものが写っている写真ほど、あとで見て楽しいもの
〇背景がボケてるってことは、情報がなくなっているってことだよ。もったいなくない?
〇コンテストに入賞するような写真が「役に立つ写真」だとしたら、意図的に「役に立たない写真」を撮ったほうがいいよ
〇いまはどこか特別な場所に撮りにいくよりも、学校を撮ったほうがいんじゃない
〇渡り廊下って学校以外で見たことない。いまは普通だと思っていても、特別なものってたくさんある
〇誰もが写真を撮る時代に、写真部の役割はアーカイブ(保存)すること
〇自分のための写真以外に、みんなのための写真を考えて撮るのは写真部の使命だから

  写真は、意図しない限り残りません。意識しない限り見えるものは限定されてしまいます。誰もが写真を撮る時代ですが、写真部でなければできないことはあると思っています。


写真は1977年 高校2年生のおときに撮ったもの
オリンパスOM-1
ズイコー28mm f3,5
ズイコー50mm f1,4

渡部さとる写真ワークショップ2B&H

江古田(練馬区)で14年間続けてきた「ワークショップ2Bは、事務所ビル建て 替えにより、場所を阿佐谷(杉並区)に移し、「H」(エイチ)と名前を変え2018年4月から新規にスタートしています。