コダックの100年
あるとき、明治13年(1880年)に撮られたというガラス湿板の写真を、ワークショップの時に持ち込んだ者がいた。なんでも岐阜高山の資産家であった彼の曾祖父が、慶応大学に進学するときに撮られたもので、写真は桐の箱にうやうやしく納められていた。
そしてそれを覆う袋には「俗人見ルベカラズ」とあった。
俗人である自分がそれを開けるのはためらわれたが、おそるおそる箱を開けてみると、サービスサイズくらいの10センチ×8センチのガラスに肖像写真が写っていた。
ガラスに写っている写真は、ネガ像であると同時に、裏面に黒布を敷くとポジ像となってプリントをしなくても写真を見ることができる。ガラスに写っている写真は、ネガ像であると同時に、裏面に黒布を敷くとポジ像となってプリントをしなくても写真を見ることができる。持ち主によると、家にはプリントは見当たらないというから、ガラ板だけで鑑賞するようになっていたようだ。
(2011年 『旅するカメラ4』 「俗人見ルベカラズ」)
1880年当時は、写真を撮影する行為というものは化学であり、どこか秘術めいたところが
あったに違いない。その頃は撮影直前に撮影者自ら暗室で感光剤を銀メッキの板やガラス
に塗布し、それが乾かぬうちに撮影と現像をすませなければならない。
1888年、アメリカにイーストマン・コダックが誕生すると、それまで板状であった感剤を
現在のフィルムのようにロール状に巻くアイディアで革命を起こした。ロール状に巻かれ
たフィルムはレンズとシャッターが組み込まれた箱の中に納められ「THE KODAK
CAMERA」が販売された。
露出もピントも固定式。晴れた日に順光で2メートルくらいのところに人を立たせると、
かなりきれいに撮れる。現在で言うなら「写ルンです」と同じだ。あとはその箱をコダッ
ク社に送るだけ。すると現像されたネガフィルムとプリントされた写真、それに新しいフ
ィルムが装填されたカメラが送り返されるという画期的なシステムだった。
「You press the button, we do the rest あなたはシャッターを押すだけ、後はコダックが
やります」の広告で爆発的な人気を得た。写真は秘術から誰にでも撮れる時代へと変わっ
ていくきっかけをつくったことになる。
ロール状にフィルムを巻いたことでひとつの産業が生れた。映画である。それによってコ
ダックは急速に成長し、1900年から2000年までの100年間、報道用、広告、映画、家庭
と全世界で使用されたフィルムの実に8割以上のシェアがあったのだ。まさにコダック王
国。今でも写真サイズをインチで表すのはコダックが中心だったからだ。
王国は創業以来絶えずシェアを独占し、1999年には過去最高益となる。ところがデジタル
カメラの台頭とともに売り上げは落ち続け、ついには2012年にアメリカの民事再生法の適
用を受けるまでにいたった。
実はフィルム王国コダックを追い詰めたデジタル技術というは、コダックがつくったもの。
世界で最初にデジタルカメラをつくったのは、コダックのスティーブン・サッソン。1975
年のことだ。
画像をデジタル化する主要な特許はコダックが持っていたことになる。結局それもApple
やGoogleなどに分割されて売却されることになったのだが。100年の栄華を誇り、絶頂か
らわずか12年で転落するなんて誰も予想できなかったに違いない。
その点、富士フィルムの転身は見事としかいいようがない。世界で2番目のシェアがあっ
たにも関わらず、デジタル化が進んだ後も、化粧品や医療の分野で成功し、全体の利益は
変わっていない奇跡の会社だ。ちょっと気になるのは、いつのまにか「富士写真フィルム」
という社名から“写真”が消えて、「富士フィルム」となったこと。もう写真の会社ではな
いということか?
2012年に民事再生法適用のニュースが流れてきたときには、コダックがもうフィルムをつ
くらないと言い出したらどうしようと心配だった。フィルムがなければライカだってロー
ライだってただの箱。たくさん箱を持っていてもしょうがない。
幸いデジタル特許を売却することでフィルム部門は残してくれることになり一安心となっ
た。もっとも僕らのためにフィルムを生産し続けるという選択をしたわけではなく、経済
とか雇用とかもっと大きな話での流れなんだろう。
コダックのフィルム生産本拠地は、ニューヨーク州ロチェスターという大きな街だ。コダ
ックシティと呼ばれているロチェスターで、フィルムをつくらなくなるというのは、豊田
市で車をつくらなくなるのと同じようなものだから。
さて民事再生法適用以降のコダックは、意外と元気に商売を続けているようだ。生産を中
止していたポジフィルムの再生産を開始し、8ミリフィルムカメラを新発売するなど明るい
ニュースが流れてくる。
とにかくトライXがなくなるようなことがあれば、世界中のモノクロラバーが一斉に涙す
ることになる。1954年に誕生したトライXは50年以上モノクロ写真の中心的な存在で
あり、僕の愛用のフィルムだ。
2018年、日本においてのトライXは一本1000円。『旅するカメラ』を最初に出した2003
年、トライXは3本パックで990円だった。
僕はいつまで使い続けることができるんだろう。
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