山縣 勉 2Bインタビュー 『Ten Disciples 涅槃の谷』 2017年

聞き手 渡部さとる     (写真 佐藤静香・文/構成 かわせはる)
 
写真家の山縣勉さんとの付き合いは2008年6月、僕が主宰している写真のワークショップ2Bに彼が受講してくれたことがきっかけでした。今回写真集『Ten Disciples 涅槃の谷』の出版に合わせ、ロングインタビューを行い、山縣さんの写真にどのような背景があるかじっくりうかがいました。
                     (取材日:2016年12月6日)
 
渡部 この度は、写真集『Ten Disciples 涅槃の谷』(ZENフォト)の出版、おめでとうございます。これは2015年に先行版として出した『涅槃の谷』の完成版だということですね。今回は写真点数が増えて、デザインや編集もあらたになっているけど、タイトルも英語表記に変えたの?
山縣 いえ、表紙には英語のタイトルしか入れてないだけです。日本語の「涅槃の谷」は裏に空押しで入れています。
渡部 あ、本当だ! かっこいいね。どうして?
山縣 表紙のタイトルは、デザイン的に2行にしたくなかったってこと(笑)
渡部 なるほど。やっぱり海外のマーケットは意識したの?
山縣 強く意識したわけではないのですが、制作の過程でそんなポイントもアタマにあったかもしれないですね。でもなんていうか、タイトルに漢字を使うことで、外国人を惹きつけるやり方は以前からあるけど、それはもういいかなぁと思って。あえて英語表記だけをオモテにしたということもありますね。
渡部 『Ten Disciples』を直訳すると?
山縣 “10人の弟子”という意味になります。
渡部 仏教用語だね。
山縣 僕は仏教徒じゃないんですけどね。「涅槃図」と言われるものがありまして、それを複写したものを最後の頁に載せているんです。真ん中に仏陀が寝ていて、周りに彼のトップクラスの10人の弟子たちが見守っているっていう絵図ね。ああ、渡部さんは、こういうことに詳しいですよね(笑)。
これは仏陀が死ぬシーンですよね。でもこの涅槃図が意味するところは、仏陀が悟りの最高境地に到達しようとしている、これ以上の最高の状況はない。要するに仏になるということ。だから周りで見ている弟子たちは悲しんではいなくて、それを歓迎している。僕的にはとてもピースフルに思える絵図なんです。
渡部 おっ、待て待て、なんか面白い話になってきた。その前に、この作品を撮ることになった経緯を聞かせてください。
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祖母から聞いた「三途の川」の風景
そのままの場所がまさに目の前にあって
僕にはそれがとてもピースフルな光景に見えた
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渡部 『涅槃の谷』は、秋田県の玉川温泉に通って撮りためたものですよね。そもそもはどういう経緯で?
山縣 2011年頃、父が癌に罹りまして。それですぐに通常の、いわゆる西洋医学を主体にした治療が始まったんですが、それとは別に僕は僕なりに、東洋医学的な治療方法をネットで調べていた。そうしたら、秋田県の山奥にある玉川温泉は癌患者が集まる湯治場だとうことを知ったんです。
どうしてそこに癌患者が集まるのかというと、自然界に存在している強力な放射線を含む石、「北投石」というのが土中に埋まっていて、いわゆるラジウムですね。その場所に患部を近づけると効果があると言われているそうで。
渡部 要は放射線治療の一種だね。
山縣 そうですね。みんな谷にゴザを敷いて放射線による岩盤浴をしている場所だった。それで興味を惹かれて、まずは僕が行ってみた。そうしたらなんと、真ん中が沸騰している川が流れていたんですよ! 幅は4〜5メートルぐらいしかないんだけど、もうもうとした噴煙で、向こう岸が薄っすらとしか見えない感じ。そこを覗き込んだら、ポツポツと小さな花が咲いていて、その間にはゴザを敷いて岩盤浴をしている人たちの姿もポツポツと見えてきた。とっさに思ったのが「あ! 涅槃図だ」って。
渡部 山縣さんは、以前から何度もインドに行っていたから、そのイメージはすぐに感じ取れたんだろうね。
山縣 そうそう、向こうでは仏陀の涅槃図はよく目にするからね。
渡部 そこから、この撮影プロジェクトがスタートしたのか。
山縣 実はもうひとつ、沸騰している川が、子どもの頃に祖母からよく聞かされていた「三途の川」のイメージと重なって見えたんですよ。
「あの世にいくときは、川が流れていて、向こう側にきれいなお花畑があって、きれいな人がそこからお迎えに来てくれて、手を引かれて川を渡ると、次の生を授かるんだよ。だからあの世は決して怖いところじゃないんだよ」ってね。
その話のままの場所がまさに目の前にあって、僕にはそれがとてもピースフルな光景に見えた。
渡部 お、ここでピースフルが出てくるわけだね!! しかし「三途の川」ってどこから来た発想なんだろうね?
山縣 うーん、まあ、仏教からきているんでしょうね。欧米人にこの話をしても通じないし(笑)。
渡部 あー、そうだね、ピンとこないよね。
山縣 そう。こちら側が現世で向こう側が彼岸(あの世)という感覚が、特に欧米人にはわかない。実は、そのあたりことを海外の人にどう伝えていけばいいのか、ちょっと苦心したんですけどね(笑)。調べてみると、仏典に由来されているようだけど、そういうことは書いてないし。
渡部 おそらく初期の仏教はバラモン教と繋がりが深いと言われているし、民間信仰も含めて、日本に古くからあったいろいろな死生観が混ざっているんじゃないかね。
山縣 どこかでミックスされながら語られてきたんでしょうね。そんな光景を目の当たりにて、なんとかしてこれを表現できないものかと思ったのが、作品づくりの発端になっているんです。
渡部 場所的にはドキュメンリーとしても撮れるよね。
山縣 そうですね。癌と闘う人たちが集まってきて、湯治の間はいわゆる共同生活しているわけだから、日々こもごもなことがたくさん起こっているだろうし。実際に、撮影で何度も宿泊しているわけだけど、夜中に横で寝ている人が呻きはじめて、カバンから注射器を取り出して……なんて場面もあった。
だから、シリアスなドキュメンタリーとして撮ることもできたかもしれない。でも、僕は最初にここに足を踏み入れたときの「あの世とこの世の狭間」感を大事にしたいなと思ったんですよ。
渡部 病と闘うシリアスな場なのに、山縣さんはピースフルなものを感じたというのがやっぱり面白いね。
山縣 これが不思議なことに(笑)。でもね、たとえばモノクロでコントラストが高いプリントだけを見ると、きっと現場はすごくオドロオドロしているんだろうなって思いがちだけど、行ってみると、すごくスローな時間が流れていてあったかい。そこに集まる人たちを含めてね。
渡部 共同体意識が強いからなんだろうね。お金持ちもそうでない人も、重い病気に罹れば、抱える心情は同じになるってことかな。
山縣 そう、すべて丸裸になってしまうからね。カッコつける必要もないし、人と競い合う必要もない。
渡部 あー、それだから、ピースフルっていう感覚があるのかもしれないね。
山縣 初対面のひとでも、語らずして何かしら繋がりを感じてしまうような場所です。
渡部 写真集の中にある、盆踊りのシーンを見るとそれを強く感じる。盆踊りって、まさにあの世から迎え入れる夏の儀式なわけじゃない。一体化している感じがするよね。
山縣 ここは山奥なので、電気はきているけど、携帯はあまり通じなくて、娯楽がないんですよ。テレビも共同のスペースに1台だけ。だからなのか、夏場の1ヶ月は、櫓を組んで盆踊りをしている。
渡部 え、1ヶ月間、ずっとやってるの?
山縣 そう(笑)。ただし、最後の日がメインのような感じで、それまでの期間は、まあ、練習ってことでしょうかね(笑)。写真集に載っているおじいさんは、この盆踊りを楽しむために、毎年ここに来ているそうなんですよ。実際の盆踊りでは、ズンドコ節とか最近のポップ曲がかかっているから明るいイメージなんだけど、こうやって写真だけで見ると、とても神秘的な印象になっている。
渡部 撮影期間は、どのくらいだったの?
山縣 約5年間で、30回ぐらいは行きました。
渡部 機材は35ミリのモノクロ?
山縣 そう。ずっと35ミリのモノクロで撮っていましたね。
渡部 カラーは持って行かなかったの? モノクロには意味があって? 他の作品ではカラーを使っていたよね。
山縣 そう言われれば(笑)なんでだったのかなぁ。
渡部 カメラはライカ?
山縣 ライカも含めていろいろと使ってますね。ライカのM6とかM7、それからコンタックスT3やTVSとか。どれも小型カメラ。そういえばライカにつけていたレンズは、誰かからもらった「上海」(笑)。
渡部 沈胴式の50ミリね。
山縣 そう、そう。ものすごくコントラストが低くて、ただでさえぼやけた場所なのに、さらに曇ったレンズによってボヤボヤの画像になった(笑)。でもそれがかえっていい雰囲気だったので、このレンズは結構使っていましたね。
カラーで撮ることは考えてなかったけど、撮っていたらどうなったのかなぁ。うーん、ちょっと想像つかない(笑)。まぁ、リアルな感じになるのも、自分のイメージしたコンセプトとは合わないと思うし。かといって、モノクロハイコントラストだと、いかにも的な写真になりかねないので、そういう感覚的なところはいつも気にしながら撮っていたと思います。
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頁数にもこだわったんですよ。108って。
1枚1枚めくって、
煩悩を剥がしていくと最後に……
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渡部 写真集の話に戻りますが、『涅槃の谷』は、2015年10月に簡易版として出版されていているけど、なにかきっかけのようなものがあったの?
山縣 このプロジェクトの制作中に、海外のグラント(制作途中のプロジェクトに対して助成金が支給される制度)に応募して、賞をいただけたことですね。これは、ドイツのライカもプロジェクトサポートをしてくれました。
それが2015年の夏頃のことで、写真集は1年後にと考えていたのですが、出版元となるZENフォトギャラリーと話を進めているうちに、「いま賞をもらったのだから、すぐに写真集を出したほうがいい」となって、簡易版をつくった次第です。
渡部 何部?
山縣 300部です。おかげ様で評判がよくて、特に海外ウケがよくて、今年になってすぐに完売しましたに。実は簡易版の評価が高かったので、僕自身もそうだけど、出版サイドもデザイナーも、今回の完成版を制作するにあたっては、いろいろなプレッシャーがあった(笑)。
渡部 その気持ちわかります(笑)。凝った造本に仕上がっているし、写真点数も増えているね。
山縣 簡易版には、何をどこで撮ったのかわからないような、やや抽象的なカットをメイン編集しています。現世と次生の“狭間”を表現したくて載せたのは20カット。今回の完成版では、もうちょっと現実のところに幅を広げて70枚ほどで構成しています。
渡部 通常の写真集でいえば、マックスぐらいの枚数だね。
山縣 頁数にもこだわったんですよ。108って(笑)。
渡部 ああ煩悩だ、なるほど(笑)。
山縣 1枚1枚めくって、煩悩を剥がしていくと最後に……
渡部 そうか! 涅槃図が登場するわけか! 
山縣さんは、ZENフォトからの出版は、『国士無双』(2012年出版)を含めて、今回の『涅槃の谷』完成版で3冊目になるんですね。
山縣 そうです。
渡部 ところで、『国士無双』が“13 orphans”で、『涅槃の谷』が“Ten Disciples”。ということは、数字シリーズ(笑)
山縣 お、鋭いですね!(笑)そこに気がつくとは! 欧米では、麻雀の上がり役にそれぞれに英語の名前を付けているそうで、『国士無双』は”13 orphans”と言われていると、翻訳をお願いした方から聞き、それをそのままいただきました。“13人の孤児”という意味です。
渡部 で、『涅槃の谷』が“10人の弟子”。いいタイトルですね。
山縣 実は、完成版にはもうひとつ仕掛けたものがあるんだけど、これは説明しないと誰もわからない(笑)。
渡部 ここでバラしていいならどうぞ(笑)。
山縣 この作品を撮っているときに、ちょうど子どもが生まれたんです。それで、人生の終盤にさしかかってきた僕の父親と新しく命を授かった子ども、そしてその中間にいる中年オヤジである自分、繋がりをもつ三者の存在、そんなことを意識するようになったので、写真集の中にも仕掛けてみました。
最初の頁には、父親が生まれた日の新聞記事、真ん中あたりには見開きで僕自身のセルフポートレイト、そして最後に子どもがいるんです。でもここだけは、隠し頁(笑)。
渡部 はい、ではみなさんに写真集を買っていただいて、探してもらいましょう(笑)
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離れたモノ、認知されてないモノ
そういうモノに惹かれていっちゃう。
N.Yで写真家のオリジナルプリントも買っていた。
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渡部 そもそも写真をはじめたきっかけは? 高校生の頃とか?
山縣 いや、もっと前から。僕が小学3、4年生ぐらいの頃にスーパーカーのブームがあったんですよ。
渡部 あったあった、覚えてるよ! 『サーキッドの狼』だ(笑)
山縣 そうそう! 読み漁ってた(笑)。自宅は目黒なので、当時から外車のディーラーが環八沿いにたくさんあったんで、学校が終わってからチャリに乗ってよく見に行ってたんですよ。で、せっかくだから写真を撮りたいと思って、家にあった「110カメラ」を持っていった。それが自分でシャッターを押した最初だったんじゃないかなぁ。
でもね、プリントしたものを見ても、ちっともカッコよく写ってない(笑)。写真って難しいんだなぁって。それが写真と関わった最初の思い出だと思います。それからは、カメラという機械を所有したいという意識が芽生えてきて、中学の入学祝いに一眼レフを買ってもらいました。キヤノンAE-1と50ミリのレンズ。
渡部 それで何を撮っていたの?
山縣 某アイドル(笑)。コンサートに行ったりしてね。200ミリとか300ミリの望遠レンズを使って。
渡部 そんなレンズ買ったんだ!
山縣 買いましたよ〜(笑)
渡部 正しいね。スーパーカーからアイドル(笑)
山縣 望遠レンズを使うと、けっこういい写真が撮れちゃった(笑)。それでポジフィルムも使ったりしてね。でも、高校に入ったらスポーツにはまってしまって……。
渡部 何をしていたの?
山縣 陸上のホッケー(笑)。神奈川の高校だったんですが、この部があったのは、県内に3校、しかもどこも強かった。なかでも全国で常にベスト3に入る強豪高があってね、そこに勝たない限り全国レベルの大会には行かれないっていう状況でした。それでも高3のときにようやく勝利してインターハイで戦って、全国でベスト4までいった。まさにスポーツ少年だったんですよ。
渡部 高校は写真から離れていたんだね。大学生の頃は?
山縣 撮るより見ることに興味が向いていた(笑)五味彬さんとか。
渡部 五味さん? 『YELLOWS』?
山縣 そうですね。女性を撮った作品ね。それから、リチャード・アベドンやダイアン・アーバス、アーヴィング・ペンとかのメジャーどころの写真集も買ってましたね。
渡部 みんなポートレートだね。
山縣 うーん、そうか! ダイアン・アーバスが一番衝撃的でしたね。
渡部 どういうところが?
山縣 当時は理屈なんか考えてなかったんだけど、社会からちょっと離れたところに位置して、あまり触れてはいけないとか見てはいけないこと関わっている感じかなぁ。
渡部 存在はしているけれど、認識はされていない人々って感じだよね。
山縣 人もそうだけど、僕はモノに対して興味が強かったんですよ。高校の部活も、陸上ホッケーを選んだあたりも、なんとなく繋がっているかもしれないけど。離れたモノ、認知されてないモノとか。いまでもそうだと思ってるけど、そういうモノに惹かれていっちゃう。写真集もそうだけど、写真家のオリジナルプリントを買ったのもこの頃から。
渡部 え、誰の?
山縣 ルイジ・ギリとかマリー・エレンマークとか。
渡部 えー、それはすごいね。就職してから?
山縣 そうですね、音楽にもはまっていたので、何度かニューヨーク行って、黒人音楽のCDを買うと同時に、SOHOのギャラリーでプリントを買ったりしてたんですよ。
渡部 かっこいいなぁ。マリー・エレンマークはサーカスの写真?
山縣 そうそう。25年ぐらい前のことだけど、もう比較的有名な写真家になっていて、写真集も何冊か持っていたんでね。撮ることも並行してやっていたけど、それはあくまでも趣味程度。
渡部 そうすると、大手の会社に就職してきちんとサラリーマンしていて、余暇で写真を楽しんでいた山縣さんは、なんで会社を辞めてまで写真の世界に入ってきちゃったわけ?
山縣 よく言われる(笑)。でも、辞めてよかったって思っていますよ。かなり激務だったのでね。20代から30代前半は体力もあるし、やればやっただけ見返りもあるし、地位も上がっていくので、そこだけで考えれば順風満帆な社会人ではあったのだけど、ある時から、これを10年後、20年後も続けている姿が自分の中で描けなくなった。
渡部 全力疾走していたら、いつか疲弊してくるものだからね。
山縣 そのあたりが辞めるベースにあったのと、いつか、自分ひとりで完結させられるモノづくりができたらいいなと思っていた。
渡部 写真で何かをやりたいと?
山縣 ええ、ギャラリーやりたいとか(笑)。でもいまから思えば、人脈もなかったわけだから、できるわけないよね。
渡部 その時は結婚していたの?
山縣 まだしてなかった(笑)からできたんだよね。
渡部 ということは、無職の男と結婚してくれたんだ! エライねー
山縣 そうでしょ〜〜 もう奥さんサマサマですよ(笑)
渡部 ところで、会社を辞めたあとにすぐにインドに行っているよね。写真を撮る目的で行ったの? どのくらいの期間で?
山縣 最初は会社辞めた年に3ヶ月行って、それから毎年2、3ヶ月の期間でインド中を巡っていましたね。そこからネパールやチベットにも行きました。
渡部 それはどこかに発表した?
山縣 してないですね。まとまったものはかなりあるけど。でもいま思うと、インドのひとつの場所、あるいはひとつのテーマに対して深堀しているならいざしらず、ただ、旅行で行った先々の写真をまとめてもどうなんだろうと……。
渡部 たしかにそういうのって、一時的には否定されていたよね。でもその場所に何の関係性も持たせずに、断片的なものをただただ並べるだけでも、勝手に結びつきができると思っているんだ。10年単位の長いスパンがかかるかもしれないけど、それができたら、インドの写真は山縣さん自身がすごく面白く観られるようになると思うな。
山縣 そうか! じゃぁ、まだしばらく寝かしておきますよ(笑)。
 
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自分のいまいる位置を知ることができたり、目指す場所に辿りつくには、あとどのくらいの距離があるのかっていうことがわかってきた。それが2Bを受講した一番の成果だった。
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渡部 山縣さんが、僕の主宰するワークショップ2Bを受講したのが2008年の6月だったよね。2Bに来るまで、どんな経緯があったの?
山縣 2006年頃かな、写真は撮ったものの、これはどうすればいいんだろうって壁に当たっていた時に、その当時『デジカメウォッチ』の中に「web写真界隈」というコーナーがあって、キヤノンの新世紀グランプリを取った写真家の内原恭彦さんとネット上で仲良くなったんですよ。そして当時流行っていたのが、内原さんのような写真家たちが、1日で数百枚撮った中からセレクトしたカットを2000とか3000ピクセルぐらいの画像で、自分のブログに毎日どんどんアップしていくっていうこと。その行為自体が表現なんだということでね。そういう一派がネット上にあって、僕もそれに引っ張られてやっていました。都内を撮影しているだけでも、面白い写真は撮れるんですよね。でも、それを1年も続けていると、やっぱり壁に突き当たる。自分は何をしたいのか、何を表現したいのかってね。その頃に2Bを知って受講したんだと思います。
渡部 どこで知ったの?
山縣 『旅するカメラ』を読んだのと、2Bを受講した人のブログを読んで。このままだと次の扉をつかめないと感じていた頃だったから、そういう意味では、会社を辞めて写真の世界に入ってからいろいろとあったけど、2Bを受講したことが、最初の大きなターニングポイントでしたね。そこで渡部さんと知り合って、『国士無双』も作品として仕上げることができたし、毎年アメリカで開催されている「レビューサンタフェ」にも一緒に参加したり。
渡部 僕自身もが2Bを始めてちょうど5年くらい経った頃だったから、ワークショップ自体もいわゆる成熟期になっていたかもしれないね。山縣さんがいた期は、仲がよかったし、その後もずっと繋がっているよね。2Bを受講して得たものって何?
山縣 テクニックから写真の知識や写真界との関わりとか、とにかく幅広く吸収できたこと。それまでは目標とする地点や人がいたとしても、それを高い山にたとえれば、自分がどの辺りにいるのか、目指す方向はどっちなのが全然わからなかった。
2Bを受講して渡部さんや様々な経験を持っている受講生と知り会ったこと、あるいは、グループ展に来てくれた著名な写真家の方々に会って話ができたというのも大きな影響を受けている。
渡部 グループ展にはいままで、亡くなった中平卓馬さんや白岡順さん、そして田中長徳さん、鬼海弘雄さん、ハービー山口さん、セイケトミオさん、有元伸也さんなど、その時々で様々な写真家の方が、思いがけず来てくれて、僕もびっくりすることがあるからね。
山縣 そう。写真はよく見て知っているけど、実際にお会いしたことのなかった方々ですよ。そうした人たちと会話しながら何かしらの繋がりを得て、自分のいまいる位置を知ることができたり、目指す場所に辿りつくには、あとどのくらいの距離があるのかっていうことがわかってきた。それが2Bを受講した一番の成果だった。
渡部 山縣さんは2B終了後のグループ展では、上野にある不忍の池に何年も通って、そこに来る人たちを撮った作品を25点ぐらい展示したのだったよね。ちょっとしたした個展になるように、隔離されたスペースを使ったので、いろいろなスタイルで撮影したものスタイルとして固まってきてだんだんカタチとして見えてくるような、いい作品だった。
山縣 ええ。僕は、それまできちんとした展示の経験がなかったので、これも自分の中では、衝撃的な経験ではありましたね(笑)。
渡部 これは後に、さっきもちょっと話に出た『国士無双』としてZENフォトから出版されたけど、このへんの経緯は?
山縣 2009年の秋に開催された東京フォトを見に行ったんです。目的は、2Bのグループ展をきっかけに、「国士無双」という作品のポートフォリオもできたので、次のステップはギャラリーとの契約だというのがおぼりげにあったので。
だからメモ帳片手に見て回り、自分のなかで順位付けをしたんです。僕の作品とマッチしそうなところはどこかって。そのトップがZENフォトだった。
渡部 ZENフォトでは何を展示していたの?
山縣 もう忘れてしまったけど(笑)、展示されている作品に惹かれたのを憶えていますね。たしかモノクロのジャパニーズでしたね。それと、比較的若いギャラリーだったっていうこともポイントになったかな。
渡部 自分からアプローチしたわけだね。
山縣 作品を見てくださいって(笑)。それで気に入ってもらえました。
渡部 それが2011年にやった1ヶ月にわたる北京での個展に繋がるわけだね。どうして北京のギャラリーに?
山縣 当時は「ZENフォト北京」というギャラリーがあったので、「僕は、国士無双の作品を北京の人に見てもらいたいんです」ってお願いをして(笑)。
渡部 最初の個展が北京っていま考えるとすごいね。どうでした?
山縣 いや〜、売れなかったけど(笑)、すごくいい経験になりましたよ。北京には行ったことがなかったから、空港から街に向かう途中で出会う北京の人たちが個性豊かでみんな面白くて面白くて(笑)。こんなところで「国士無双」の写真見せたってだめだろー(笑)って思ったぐらい。
渡部 ギャラリーはどのあたりにあったの?
山縣 東京で言えば、下町のような地域で商店街の外れにありました。だから、買い物カゴに大根とか入れたまんま、割烹着姿のおばちゃんが迷い込んで来ちゃうような所だった(笑)。そんなおばあちゃんにお茶だして説明して送り出した直後に、ナショジオのエディターが突然やってくることもあってね。
3週間ほど滞在していたので、とにかくエキサイティングな毎日でしたね。
渡部 その翌年の2012年に、ZENフォトの六本木ギャラリーでも「国士無双」の展示をしましたよね。そこから、2013年6月の「レビューサンタフェ」に繋がるのかな。
僕が2012年の暮れに、2Bで唸りながら英語の申請書を書いていたら、山縣さんがたまたま来て、「それ何ですかー?」って(笑)。「レビューサンタフェに申し込んで100人に選ばれると、アメリカのギャラリーや美術館の人たちが写真を見てくれて、展示や契約のチャンスをもらえるんだよ」って言ったら、「いいですねー」って、山縣さんもちゃっかり申し込んだんだよね(笑)
山縣 そうそう(笑)、あえて過去を振り返って、僕の中の大きなターニングポイントをあげるとしたら、2B、ZENフォト、サンタフェですね。
2Bで写真の世界が広がって作品を完成させ、それがZENフォトギャラリーに認められて、様々な経験ができて、サンタフェに行ったことで、さらに国外に出て行くことができた、そんなイメージですね。
渡部 あの時のサンタフェは面白かった! いままで自分が日本でやってきた経験と、海外での写真の世界はこんなに違うものなんだということが本当によくわかった。
山縣 キャリアの浅い僕でもそう感じたんだから、渡部さんのその感覚は何倍も重たいものだったんでしょうね。
渡部 たった3日間だったけど、僕にとってはとても衝撃的で、その後の自分の発想が大きくかわる3日間だった。まさにターニングポイントだったね。
山縣 そうですよね、あの年にサンタフェに行ってなければ、いまの自分が想像できないくらい(笑)
渡部 僕もそう思っている。実際に山縣さんは、6月にサンタフェに行ったことで、その年の9月にコロラドで写真展をすることになったわけだからね。
山縣 その年は7月にも、アルルの国際写真フェスティバルに行って、ポートフォリオレビューを受けてますね(笑)。
渡部 海外での活動がすごく増えているよね。2016年もパリフォトで写真集を販売していたでしょう。
山縣 2013年以降、たしかにそうですね。
渡部 2015年と2016年は、香港のアートブックフェアに一緒に行ったしね。
山縣 そうそう。そういうところに参加するだけでも、いい経験になりますね。ただのブックフェアだけど、他のバブリッジャーの出版物を見たり、どんな考えで本を制作したのかを実際に聞いたりすると、写真集の見方なんかが変わってきますからね。
渡部 話しが尽きないので(笑)、そろそろ最後の質問にしましょう。今後の活動は?
山縣 12月17日から来年の2月4日まで六本木のZENフォトギャラリーで「涅槃の谷」の展示をやります。日本での個展は2012年以来で2回目になります。実は個展はあんまりやってないんですよ(笑)。個展と個展の間に写真集をつくっているって感じですね。
渡部 そうなんだね。次のシリーズは何かあるの?
山縣 アイデアはたくさん(笑)。僕はもともと左脳派で、頭で考えながら行動することが多いんです。それはサラリーマンのときに培ったものなんですが、それがちょっとイヤになったんで、右脳で行動しようと(笑)。理屈ではなくて、衝動と肉体感覚だけで写真を撮っていこうと心に誓っているんですよ。アタマで考えてばかりだと、写真が撮れなくなるときもあったりして(笑)。
渡部 僕はその逆だな。一生懸命考える癖をつけないと、左脳がサボるんだよね。本当の天才は右脳だけで生きていけるけど、半端な人間は右脳だけで思考しても、ロクなことにならないから(笑)。
山縣 今回の個展に至るまでは、サンタフェをはじめ、海外で見聞きしてきたことに大きな影響を受けたのは事実。だから、作品をつくりながらも違う目で何度もそれを見返したり、時には右脳を使って写真を撮ったり。日々そういうことを繰り返しながら、最終的にはひとつの作品に仕上げることができました。これからも時間はかかるかもしれないけど、そのスタイルで続けていこうといまは考えています。
渡部 今日、こうしてインタビューをしていて感じたのは、山縣さんの学生の頃の生き方や考え方と、写真家としての作品づくりのスタンスは同じなんだなってこと。その時々で時代性の捉え方に違いはあっても、根っこの部分は変わってないんだと思えました。
今日は長々とお付合いいただいて、ありがとうございました。
 
——後記
山縣さんが2Bに来たときの第一印象は「宙に浮いてる」(笑) 。捉えどころがないというか、でも不思議な魅力がある。徐々にわかってきたのは、何かに縛られることを嫌うけど、決して孤立することなく繋がりをつくっていける人。英語だってそれほど堪能なわけでもないのに、どの国の人の輪の中にスッと溶け込める。一緒に海外に行くたびに、それを目の当たりにします。『国士無双』も『涅槃の谷』も山縣さんだからこそ撮れたのだと思います。
プロフィール
1966年東京生まれ。慶応義塾大学法学部法律学科卒。
公益社団法人 日本写真家協会会員、公益社団法人 日本写真協会会員
 
主な個展
2017 (予定)“涅槃の谷” 176gallery(大阪)
2016 “涅槃の谷” ZEN FOTO GALLERY(東京)
2014 "Dried-up" ALBA GALLERY (北京)
2013 "THIRTEEN ORPHANS" Colorado Photographic Arts Center (コロラド)
2012 "Double-dealing" ALBA GALLERY (北京)
2012 "国士無双" ZEN FOTO GALLERY (東京)
2011 "国士無双" ZEN FOTO GALLERY (北京)
 
主なグループ展
2016 “Stories from the Camera” University of New Mexico美術館(ニューメキシコ)
2015 “亀甲と拮抗” Gallery niw(東京)
2014 "How one thing leads to another" Houston Center for Photography (テキサス)
2014 "Critical Mass TOP 50 Exhibition" Corden|Potts Gallery (サンフランシスコ)
2013 "Pure 2013" Gallery TANTO TEMPO (神戸)
2012 "Japan Professional Photographers Society" (Galleryシリウス, 富士フィルムフォトサロン)
 
主なフォトフェスティバル出展
2017 (予定)FOCUS Photography Festival 2017 (ムンバイ)
2016 Fotofever photo fair 2016 (パリ)
2015 FOCUS Photography Festival 2015 (ムンバイ)
2014 La Quatrieme Image 2014 (パリ)
2013 TOKYO PHOTO 2013 (東京)
2013 Les Rencontres d’Arles Photography (アルル)
2012 TOKYO PHOTO 2012 (東京)
 
受賞
2015 EMERGING ASIAN PHOTOGRAPHY GRANT受賞
2015 HARIBAN AWARD 2015ファイナリスト
2015 Athens Photo Festival ショートリスト(ギリシャ)
2014 LensCulture Portrait Awards (アメリカ)
2013 Photolucida Critical Mass TOP 50 (アメリカ)
 
出版
2016 写真集「Ten Disciples 2016」ZEN FOTO GALLERY
2015 写真集「涅槃の谷」ZEN FOTO GALLERY
2012 写真集「国士無双」 ZEN FOTO GALLERY
2011 知日ZHIJP. 03特集 Liaoning Education Press (中国)
2011 写真集「Bulgarian Rose」私家版 (東京) 
 
主な掲載
LFI Magazine, Internazionale magazine, The New Yorker, LEICA M magazine, WIRED, LensCulture, Feature Shoot, LENSCRATCH, Huffington Post, Art Photo Index, Photo Eye, Photographer Russia, EMAHO magazine, Artisfied, Yishuz China, Artinasia, Espal Fotographic, New Energy, La Quatrieme Image, Fraction Magazine Japan
 
作品収蔵
UNM University of New Mexico Art Museum (ニューメキシコ) 
Dr Bhau Daji Lad Museum (ムンバイ)
 
取扱ギャラリー
ZEN FOTO GALLERY, Tokyo (http://www.zen-foto.jp/)
 
ホームページ
http://www.tsutomuyamagata.com

渡部さとる写真ワークショップ2B&H

江古田(練馬区)で14年間続けてきた「ワークショップ2Bは、事務所ビル建て 替えにより、場所を阿佐谷(杉並区)に移し、「H」(エイチ)と名前を変え2018年4月から新規にスタートしています。