2015年 エプサイトギャラリー 渡部さとるインタビュー
フォトグラファーズレポート ~渡部さとるさん~
https://proselection.lekumo.biz/epson_proselection_blog/2015/07/post-d355.html
みなさんこんにちは、フクです。
暑い日が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
今月のフォトグラファーズレポートは渡部さとるさんをお招きしお話を伺いました。
<渡部さとる(わたなべ さとる)さんプロフィール>
1961年山形県米沢市生まれ。
日本大学芸術学部写真学科卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。
スポーツ、報道写真を経験。同社退職後、スタジオモノクロームを設立。
フリーランスとして、ポートレートを中心に活動。
2003年より写真のワークショップを始める。
~一人前になるための期間は10年間だった~
フク:「渡部さんのプロフィールを拝見したところ日本大学芸術学部をご卒業とのことですが、まずはそれ以前のお話を伺いたいと思います。」
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渡部さん:「カメラには小さい頃から興味があって、それこそ2歳頃に撮られたアルバムを見ると、決まってカメラケースを首から提げて写っているんです。父のカメラが格好いいけど貸してもらえないから、ケースだけ借りて持ったつもりでいたんでしょうね。」
フク:「カメラとの出会いは本当に小さい頃からなんですね。」
渡部さん:「カメラの形が好きだったんだと思います。僕が生まれたのは昭和36年で、当時は、おもちゃが少なかったこともあり興味を持ったのかもしれません。本格的に写真に取り組むようになったのは高校生になってからでした。当時流行っていた「オリンパスOM-1」を父に買ってもらい撮っていました。」
フク:「写真部に所属していたのですか?」
渡部さん:「いえいえ、高校に写真部はなかったんです。でもどうしてもプリントがやりたくて。そこで学校中を探したところ、図書室の裏に暗室を見つけました。先生も学校に暗室があることを知らなかったみたいです。」
フク:「なるほど。当時暗室の使い方や現像、プリントなどは先生から教わったのですか?」
渡部さん:「先生すら知らなかったような暗室ですから、当然教えてくれる人はいませんでした。写真雑誌などを参考にフィルム現像やプリントを独学で身につけました。はじめてのことばかりで、やればやるほど写真にのめり込んでいきました。」
フク:「その頃はどういった写真を撮っていたのですか?」
渡部さん:「当時はSLとかスーパーカーが流行っていましたが、僕はクラスメートや学校内ばかりを撮っていました。僕が校内でカメラを提げているのは普通になっていたので、授業中に撮影していても先生は何も言わなくなり、体育の授業にもカメラを持っていくようになりました(笑)」
フク:「そうした写真を暗室でプリントして人にあげていたんですか?」
渡部さん:「そうですね。新聞部から材料費をもらって行事を撮影したりもしていました。」
フク:「当時から完全にフリーのフォトグラファーじゃないですか(笑)」
渡部さん:「今思うと、近いことをしていましたね(笑)」
フク:「そこから日本大学芸術学部に進学されるわけですが、大学では何を学んだのですか?」
渡部さん:「デジタルカメラが一般化する、はるか前の時代です。当時の写真表現はまだモノクロが主流、フィルムで撮って印画紙に焼き付けて完成させるのが写真でした。また、商業的なカラー写真はポジフィルムを使っていました。ポジフィルムというのは望み通りの色にコントロールするのが大変難しいものでした。そうした技術を学んで一人前になるまで、誰でも10年はかかりました。4年制の大学に通った場合、10年のうちの4年間を学校で、卒業したら6年間をどこかで修行をしてようやく目鼻が立つというのが一般的でした。10年の過ごしかたとして、大学ではなくて専門学校に通ってもいいですし、学校に通わずアシスタントをしてもいいわけです。でもとにかく10年間というのが当時一人前になるためにどうしても必要な時間でした。大学の4年間は、フィルムで撮って正しいプロセスで印画紙に落とし込む方法を学んだことになります。」
フク:「特別に訓練された人だけが写真を撮れるという時代ですね。」
渡部さん:「そうですね。思い通りに写真を撮るには、今とは違い長い訓練が必要でした。大学内では目標はアーティストではなく、職業的に写真を扱うカメラマンという意識の人が多かったですね。」
フク:「渡部さんもカメラマンになろうと思っていたのですか?」
渡部さん:「ええ進路はカメラマン以外に考えていなかったですね。当時は広告業界がパワーを持っていた時代でしたので、みんな華やかな広告のカメラマンに憧れていました。」
フク:「卒業されてから日刊スポーツに入られたそうですが、これは広告の業界ではないですよね?」
渡部さん:「広告がメジャーでしたので、報道関係は人気薄でした(笑)朝日新聞や読売新聞は大学へ募集があったのですが、スポーツ新聞は大学に募集が来なかったんです。僕の場合、たまたま手に取った日刊スポーツの隅に、「写真記者若干名募集」という告知を見つけて。広告はやりたくないと思っていましたので、報道の方へ行くことにしました。」
フク:「どうして広告はやりたくなかったのでしょう?」
渡部さん:「学生時代にちょっとだけ広告の撮影のアシスタントをやったことがあるのですが、あまりにも過酷な世界で。朝から深夜までスタジオで延々と撮影するんです。毎日ヘトヘトで、とてもじゃないけど仕事にはできないと思いました。今思うと大変なところしか見えず、その面白さを知るまでにはいたらなかったんでしょうね。」
~伝える楽しさを知った時が作家活動の始まり~
フク:「新聞社ではやはりスポーツの撮影が多かったのですか?」
渡部さん:「サッカー、ラグビー、相撲、陸上、プロ野球などほとんどのスポーツを撮りました。入社していきなりひとりで現場に行かされ、誰も教えてくれません。300ミリの望遠レンズが標準レンズのような世界に放り込まれて、もう撮れなくて撮れなくて・・・」
フク:「それは思ったものが撮れていないということですか?」
渡部さん:「半年間くらいはデスクからの要求にはまったく答えられない状態でした。長時間現場に行って撮って、苦労してプリントしてもボツで、結局共同通信からの配信写真を使われてしまうという屈辱も何度か味わいました。最初の頃は悔しくて毎日暗室で泣いていましたね。」
フク:「新聞社には何年間いらしたのですか?」
渡部さん:「3年間です。今思うとなんで辞めたんでしょうね? 撮れるようになってきて仕事も充実したところでした。毎日が大変でしたが現場は面白かったし報道の一線に身を置けるのは刺激的でした。スポーツ、政治、芸能、事件なんでもありでしたから。でもあるときもっと別の写真の世界を見たくなって、後先考えずに退職してフリーランスになってしまいました。そういう時代だったんですよ(笑)」
フク:「まだ20代ですよね?フリーランスになって仕事はあったのでしょうか?」
渡部さん:「10年で一人前になるという話に照らしあわせると、大学で4年、新聞社で3年の合計7年。まだ3年足りません。フリーランスになって2、3年は食うや食わずの生活が続きました。本当に不思議なんですが、ようやく仕事が軌道に乗ったのは、ちょうど10年が経った頃でした。幸運にもバブルの時期と重なったこともあってCMのキャンペーン用の写真や会社のパンフレット、高級外車やクルーザーの広告など大きな仕事がどんどん入ってきました。」
フク:「実際10年間学んできたカメラマンが当時少なかったのでしょうか?」
渡部さん:「そんなことはありません。たくさんいました。しかしそれよりも仕事の量の方が多かったんです。ですから30歳にもなっていない若造に今では考えられないような規模の仕事が舞い込んできました。」
フク:「そうした広告の仕事などは何年くらい続いたのですか?」
渡部さん:「3年くらいですかね。僕はもともと広告より雑誌の仕事に興味があったんです。雑誌の仕事が中心になったのは33歳、フリーになって7年ほど経った時期ですね。その頃は主にタレントやミュージシャンを撮るのが仕事でした。」
フク:「この頃作品制作活動などはされていたのですか?」
渡部さん:「はじめて個展をやったのは銀座コダックフォトサロンというところで32歳の時です。これは僕がアイディアを出したある雑誌の企画で、毎号著名な俳優の方々にカメラから伸ばしたレリーズを持ってもらい「自分でシャッターを切ってもらう」ポートレートのシリーズでした。それまでは広告でも雑誌でもディレクターや編集者から「このように撮って欲しい」と依頼されたものを撮っていたわけですが、この仕事に関しては、はじめて自分の発想で自由に撮ることができました。この個展がきっかけでメディアを通さず直接人に見せる面白さを知り、仕事以外に自由に撮れるものを探して南の島へ通い始めることになります。」
フク:「これが今回エプサイトで発表されている「traverse」の写真の一部なんですね?」
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渡部さん:「そうです。実は新聞社を辞めて26歳の時に初めて行った海外旅行がインドネシアのバリ島でした。その頃バリ島はまだ知られていなく、友人でも行ったことのある人は誰もいませんでしたね。その後新婚旅行でもインドネシアを訪れ、そのときロンボク島で今回冒頭に展示している3人の子どもの写真を撮りました。それはほんの一瞬の出来事だったのですが、砂浜に座っていると突然目の前で3人の子どもたちが寄り添い形を作ったんです。今考えても不思議な体験でした。こういう出会いをもとめて、最初の個展後から仕事の合間を縫って南の島へ通うようになったのです。」
フク:「いきなり自由に撮るというのも大変そうですね。」
渡部さん:「そうですね。大学卒業以来ずっと依頼された写真しか撮ってきませんでしたから。いざ自分の撮りたいようにと思っても、最初は何を撮ったらいいのかわかりませんでした。仕事の延長のようなものばかりしか撮れなくて。そこで仕事写真との気持ちを切り替えるために、旅先では「取材をしない」「ローライフレックスを使いモノクロで撮る」という2つのルールを自分に課しました。」
渡部さん:「取材をしないというのは、事前に旅行ガイドなどで調べず、現場で見聞きしながら旅をするというルール。ローライを使いモノクロで撮るのは、カラーだと「こういうのを撮っておけばあの雑誌で使ってくれそう」とか、「あの人に持って行けばポスターに使ってくれるかも」といった考えがどうしてもでてしまうからです。モノクロなら誰も使ってくれないだろうから(笑)どこにも発表することもなく、そうした旅を8年間重ねているうちに写真がたまってきました。写真展をやる気はなく、写真集を作りたいと思ったんです。そこで2000年に最初の写真集『午後の最後の日射 アジアの島へ』(mole)を出しました。39歳の時です。小さな出版社を通し自費出版しました。印刷代だけで260万円かかったのを覚えています。」
フク:「写真集の反響はどうだったのですか?」
渡部さん:「新人のモノクロの写真集なんて一体誰が買うのだろう?」と思いながら作った本でしたが、当時は写真集も現在より少なかった時代ということもあり、雑誌、新聞、ラジオと多くの媒体が僕の本を取り上げてくれました。反響は思ったより大きかったです。」
フク:「写真作家として本格的な動きを始めたのはそれ以降ということになるのでしょうか?」
渡部さん:「その後は海外だけではなく故郷の山形県米沢を撮ったりしていていました。発表の場を探している時に縁があり2006年に新中野にある「ギャラリー冬青」で写真展を開きます。このギャラリーはプリントの販売が目的のコマーシャルギャラリーです。ここで初めて本格的にプリントの販売を始めました。厳密に言えばこれが写真作家としてのスタートになります。冬青はギャラリーであり、同時に日本で数少ない写真集専門の出版社です。2006年以来冬青からは3冊の写真集を出し、6回の写真展を開いています。」
渡部さん:「2007年写真集『traverse』を冬青社から出してもらえることになりました。この写真集は1990年から2007年までの写真をまとめたものです。当時僕は東京と仕事で行く海外、母のことで米沢を行ったり来たりしていました。ヨーロッパから帰ってくると翌日には米沢へ、戻ると東京で仕事をして、また海外へという生活でした。その体験から写真集はある地域やテーマにこだわることなく、それぞれの場所の写真を織り交ぜて構成することにしました。「traverse」とは「ジブザグに進む」という意味です。この写真集が今回エプサイトでの展示のベースになっています。こうしてできた写真集を海外の人にも見せたくて、2007年7月にフランスのアルルで開催されている、フォトフェスティバルのポートフォリオレビューに参加しました。アルルのことも、レビューのこともまだほとんどの人が知らない頃で、予備知識が一切ない状態での参加でした。」
フク:「海外での反応はいかがでしたか?」
渡部さん:「ギャラリーや出版社、美術館など10人にレビューをしてもらいましたが、大体僕はその頃英語がまったく話せない(笑)。言っていることもほとんどわからない。聞こえてくるのは「difficult」とか「strange」といったコメントだけ。惨憺たるありさまでした。何しに来たのかさっぱりわからい状態です。」
渡部さん:「しかしそうした中、パリで働くイタリア人の女性雑誌編集者が「田舎で生まれた少年が都会に出て、いろいろなところを旅しながらも最後は故郷に戻るこの写真集の構成はすごくよくわかる。とても好きだ」と抱きついてくれたんです。彼女はすぐに知り合いのキュレーターを紹介してくれ、結果的にそれがパリ国際フォトビエンナーへと繋がりました。「自分の思っていたことが写真集を通して海外の人に通じた」。この時のイタリア人編集者の反応が本当に嬉しくて。思えば彼女もイタリアを出てパリに暮らす人でした。共通する体験があったのでしょうね。ビエンナーレでの展示をきっかけに、国内だけでなく積極的に海外へ写真を見せに行くようになりました。今年も香港ブックフェや、7月には再びアルルへも行ってきました。」
~ワークショップ2B~
フク:「現在渡部さんは2Bという写真ワークショップを主催されています。」
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渡部さん:「この話をするには2000年に出した写真集『午後の最後の日射 アジアの島へ』を出した時まで遡ります。この写真集は、出版社を通して自費で1200部出版したのですが、出して間もなく出版元が倒産してしまいました。慌てて倉庫に残っていた500冊ほどを回収して事務所に運んだのですが、その本の山を見て途方にくれました。事務所の隙間という隙間は写真集で埋め尽くされたんですから。そんなときインターネットの存在を知り、ウェブサイトを作ってそこで本を販売することにしました。当時のネットはアナログ電話回線でつなぐ56KB「ピーゴロゴロ」の世界です(笑)」
渡部さん:「ただサイトを作っても本は売れるわけありません。サイトを見てもらうためのコンテンツが必要になってきます。56KBの回線では写真1枚を見るのにとても時間がかかりました。そこで写真に関するコラムをサイトにアップすることにしました。これまでの旅のこと、カメラのこと、仕事のことなど毎週かかさず2年間更新しました。ネットの情報がまだ少ない頃で、サイトは徐々に閲覧者が増えてきました。2003年、サイトをずっと見てくれていた編集者から声がかかり『旅するカメラ』(エイ出版)を出版することができました。ワークショップはじめたのは同じく2003年43歳の時です。これはネットで僕のコラムを読んでくれている人たちに会って写真について話してみたいという興味からでした。」
フク:「はじめのワークショプでは何人くらい集まったのでしょう?」
渡部さん:「サイトからの告知だけで7人が集まりました。ネットを通じての呼びかけに実際来てくれるんだなって思いましたね。」
フク:「2Bという名称も独特ですよね。普通なら渡部さとるワークショップとかになりそうですが。」
渡部さん:「当時の僕は写真集を1冊出しただけの無名のカメラマン、何者でもない状態です。自分の名前を出すよりも、事務所の部屋番号、2階のB号室にした方が面白いと思いました。僕のワークショップというより2Bという場所で写真を撮りプリントする講座があるよ、そこに渡部がいるよ、そこで写真の話しをしようというワークショップを目指して名前を付けました。」
フク:「ワークショップは12年間も続いていますが、カリキュラムは変わっていないのですか?」
渡部さん:「このワークショップでは「撮ること・見ること・見せること」をテーマにしています。フィルムで撮影して印画紙にプリントする中でカメラの構造や露出の仕組などを理解するのが「撮ること」。写真の歴史や流れ、写真の見方を知るのが「見ること」。そして最後にグループ展示を行いますが、これが「見せること」です。この3つの基本方針は変わっていません。」
渡部さん:「フィルムで撮って印画紙にプリントするワークショップは、デジタル全盛の現在ではかなり特殊になってしまいました。でも僕は光や写真を撮ることを根本的に理解するにはいい方法だと思っています。なぜならモノクロフィルムで撮って印画紙で焼き付けるのは、一番情報量の少ないやりかたです。平たく言えば写りません。この一番情報量の少ないメディアをコントロールできればカラーでもデジタルでも応用は効くわけです。それに暗室でのプリントって本当に楽しいんです。写真を続けていくのなら一度はやってもらいたいですね。」
フク:「なるほど。写真の根源的な仕組みや面白さを学べるのですね。」
渡部さん:「受講生の中には結構フリーカメラマンもいますよ。彼らはデジタルを使い独学でカメラマンになっている人が多いので、一度基本を勉強したいと言って来たりするんです。カメラの操作もわからない人とカメラマンが一緒に講座を受けている不思議なワークショップです。」
渡部さん:「写真がどうやってなりたっているかを知れば、今以上に写真が好きになると思います。年4回募集しています。いまはデジタル写真が世の中の主流であることは当然ですが、だからこそ一度フィルと印画紙を体験してみてください。35ミリカメラ以外にもハッセルブラッドやローライフレックスなどの無料貸し出しもあるので、フィルムカメラを持っていなくても大丈夫ですし、まったくの初心者の方も歓迎します。写真の話をしてみたい方はどなたでもどうぞ。」
渡部さとるウェブサイト:http://www.satorw.com
WORKSHOP 2B:http://blog.livedoor.jp/workshop2b/
いかがだったでしょうか?
それではまた、宜しくお願い致します。
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