2015年に気がついた「写真と影の関係性」
近年の写真の表面上の傾向として「影」がない。この場合の影とはドロップシャドウではなく、グラデーションをともなった陰影のことだ。
フラットな光を使い平面的な構成になっている。実は以前から欧米の写真を見ていて引っかかっていたのがこの影のない写真のことだ。
日本の写真には影が多い。というか「陰翳礼讃」のお国柄だ。障子越しの柔らかいグラデーションこそが美しさの原点的なところがある。「モノクロの真髄は光と影、 光あるところに影あり」と教えられてきたものだ。
ところが欧米ではモノクロ写真においても近年は影が少ない。というか嫌っているに近いものがある。あくまでフラットに陰影はつけず。カラーの場合はもっと顕著だ。
日本の写真はカラーでも影が目立つ。ではなぜ彼らはなぜそんなに「影」を嫌うのか?どうやらその答えのひとつにセンチメンタルとノスタルジアがあるようだ。
アルルでのポートフォリオレビューで、あるレビュワーが日本人女性のカラープリントを見て「影はダメだ、センチメンタルになってしまうだろう」と言っていたそうだ。この言葉が引っかかった。
2年前レビューサンタフェでの「ノーモアノスタルジー」http://d.hatena.ne.jp/satorw/20130621/1371784886
以来ずっと写真とノスタルジアの関係性について考えてきた。
日本では表現のひとつであるノスタルジアを欧米では嫌う人が多いということは理解できた。
そして僕の写真はモノクロだからノスタルジアを感じるのかと思っていた。
しかし、もしかしたらモノクロがノスタルジアなのではなくて、「影」がそう感じるさせているんじゃないのか?陰影をなくせばモノクロでもノスタルジアは感じない?
そう考えてみると杉本博司の代表作「SEA SCAPE」に陰影はない。海外での評価が高い鬼海弘雄の「PERSONA」にもない。金村修にもない。カラーではホンマタカシも鈴木理策にも影はない。
アルルからパリに戻ってからオルセー美術館に行ってみた。ここは1800年から1920年くらいの近代美術発祥の頃の作品を多く見ることができる。
歴史画、宗教画、神話の世界こそがモチーフだった1850年以前の絵ははドラマチックで陰翳にあふれていて、一目で内容がわかる作品ばかりだった。
それが1850年を過ぎると時代が王政の廃止、ナポレオン戦争、疫病などで社会不安が増すと美術の世界が大きく動き出す。
そして西洋絵画は日本の浮世絵に多大な影響を受ける。ゴッホとかゴーギャンの時代だ。
浮世絵の特徴といえば、そう「影がない」!
それ以降西洋絵画から影が消える。もちろん線で引いたようにとは言えないが、歴史画、宗教画がメインストリームでなくなると、もう陰翳を使った絵は見当たらなくなる。わずか数十年で絵画はまるで別物になるのがよく分かる。その変化は驚くほど急速だ。
影の描写は古臭い手法と映り、絵画は具象から抽象へまっしぐらに進む。抽象画に影は必要ない。
さて、「陰影」は音楽で言えば「グルーブ(うねり、揺らぎ)」ということだと考えられないだろうか。
戦後黒人ブルースからロックが生まれる。ブルースの特徴のひとつに「ウィーピング」いわゆる「泣き」がある。ブルースハープやスライドギターがウィンウィーンと揺れながら音を作る。
黒人ブルースの発祥は祖国アフリカを思うノスタルジー。白人のエルビスはブルースからウィーピング(揺らぎ)をなくしたロックを作ってしまう。ノスタルジーに縁がない若者にロックはあっというまに広がる。
ブルース的要素を残して発達するロックはビートルズという天才が現れ、ありとあらゆることをやってしまう。ロックはヘビィメタルとなり、ついにはメロディーすら拒否したパンクとなった。パンクはメロディーを消すという斬新さはあったが、それゆえその後の進化はのぞめなくなった。
同時期にデジタルを使いグルーブをまったく消して音楽を成立させようとするバンドが生まれる。クラフトワークでありYMOだ。テクノは一時期を席巻するが急速に姿を消す。
そして1990年になるとオルタナティヴロックへ。メジャーではなくインディーズレーベルから「ニルバーナ」が生まれる。以降音楽はジャンルで語られることはなくなってしまう。個の時代だ。
美術も15世紀末ダヴィンチが遠近方を生み出し、陰影を使い写実的に描くことを長い間良しとした。写実主義の延長としての印象派が生まれ、1990年頃にゴッホゴーギャンによって影をなくした絵画の抽象化が始まる。印象派セザンヌの影響は大天才ピカソによって絵から完全に遠近感を消しさってしまった。
これは1839年に生まれた写真と無関係とは思えない。写実を追求した先は写真となるからだ。写真から離れようとした結果が抽象画と言える。
陰影をなくした抽象画は、音楽で言えばグルーブをなくしたロックだ。抽象画の行き着いた先はダダイズムでありシュールレアリズム。無意味を唱えるこれらはメロディーを消したパンク音楽と同じと考えると、やはりあっというまに終焉を迎える。
そして戦後アメリカ現代芸術がスタートするのだ。ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、フランシス・ベーコン、アンディ・ウォーホル、、、彼らの作品から影を見つけ出すことはできない。
陰影、グルーブは揺らぎ。揺らぎに人はセンチメンタルやノスタルジーを感じるのではないか?そしてそれを取り除こうとする歴史が見える。
写真は今、確実にl揺らぎを消す方向にある。手触りをなくしかけ、ある種の倦怠感が生まれているのも事実。そこへ昨今の写真集ブーム。手作りのものが急速に受け入れられている。糊跡や折り跡が残るものを好んで買う人達が急速に増えた。
これからどう進むかなんて分かりっこないが、新しい写真の時代がすでに始まっているのは肌で感じる。
http://satorw.hatenadiary.com/archive/2015/08/04
0コメント